- may は「してもよい」と「かもしれない」の両方で習うが、意味が遠すぎる気がする。
- 許可なら相手の行動の話、推量なら話し手の判断の話なのに、なぜ同じ may なのか。
- may と can の許可の違いは分かっても、may の中で許可と可能性がつながる理由が残る。
- 助動詞を用法一覧ではなく、英語の見方として理解したい。
may を学ぶと、多くの人が最初にこう覚える。
もう帰ってもよい。
He may be at home.
彼は家にいるかもしれない。
どちらも may である。けれど、日本語にすると、上は許可、下は推量・可能性になる。
ここで生まれる違和感は、とてもよい違和感である。
なぜなら、この記事で考えたい中心問いは、まさにそこにあるからだ。

「帰ってもいい」と「家にいるかもしれない」って、だいぶ別物じゃない?

訳語だけを見ると別物です。でも may を「現実を確定せず、余地を開いておく語」と見ると、許可と可能性が少しずつ近づいてきます。
この記事では、may の用法をただ並べるのではなく、なぜ may が「許可」と「かもしれない」を両方表せるのかを考える。
先に結論を言うと、may の中心には「そうである余地を開く」という感覚がある。相手の行為に余地を開けば「してもよい」になり、命題全体に余地を開けば「かもしれない」になる。
- 訳語の違和感: なぜ「してもよい」と「かもしれない」は遠く見えるのか
- may の核: 「余地を開く」という見方で何が説明できるのか
- R/P用法: 行為に向く may と、命題に向く may はどう違うのか
- 説明の射程: この見方で説明できることと、個別に扱うべきことは何か

なお、この記事は may の全用法を網羅する記事ではない。祈願、譲歩、目的、古風な可能の用法まで一気に整理するよりも、今回は学習者が最もひっかかりやすい許可とかもしれないの関係に絞る。
may と can の単純な訳し分け比較でも終わらせない。can との違いは必要なところで触れるが、主役はあくまで may の中にある意味のつながりである。
先にベース記事を読むと理解しやすいです
この記事は用法別の深掘りです。基本情報やコアイメージは may の用法とコアイメージ で確認してから読むと、訳語ではなく助動詞の働きから理解しやすくなります。助動詞全体の見取り図は 助動詞の種類・分類 にまとめています。
mayの違和感は「日本語訳が分裂する」ことから始まる
may が難しく見える最大の理由は、英語側というより、日本語側の着地にある。
英語では同じ may が動詞の前に置かれている。しかし日本語にすると、「してもよい」と「かもしれない」という、かなり違う文末表現に分かれる。
| 英文 | 日本語訳 | 日本語で見えやすい意味 |
| You may leave now. | もう帰ってもよい。 | 相手への許可 |
| He may be at home. | 彼は家にいるかもしれない。 | 話し手の推量・可能性 |
訳語としては、どちらも自然である。
しかし、自然な訳語をそのまま英語の意味構造だと思うと、may が「許可という意味」と「推量という意味」を別々に持っているように見えてしまう。
訳語は、英語の意味が日本語に到着したあとの姿である。
英語の中で may が何をしているのかを考えるなら、日本語訳の表面から少し戻って、may がどこにどんな判断を置いているのかを見たほうがよい。
用法一覧は便利だが、意味のつながりは見えにくい
学校文法では、may の代表用法として「許可」「推量」「祈願」などが並ぶ。これは入口としてとても便利である。
どの訳語候補を持てばよいのか。どんな文脈でどの意味になりやすいのか。試験や読解では、まず用法名を知っていることが助けになる。
ただし、用法一覧には弱点もある。
「may には許可と推量がある」と言うだけなら簡単だ。しかし、それは「なぜ両方が may なのか」という問いにはまだ答えていない。
この記事では、そこを一段深く考える。
「別々の意味がある」と「無関係である」は違う
may に複数の用法があることは事実である。
しかし、複数の用法があることは、それらが完全に無関係だという意味ではない。
たとえば日本語でも、「開く」は扉にも、会議にも、可能性にも使う。もちろん、それぞれの用法は違う。でも「閉じていたものが開かれる」という感覚がどこかに残っている。
may でも同じように、許可と可能性は別々の訳語として現れるが、英語側では現実を断定せず、ある方向を開いたままにするという点で近い。
may の可能性は、命題の成立を閉じない。
どちらも、ある事態を可能なものとして開いておく働きである。
ここから、may の中心を「余地」として見ていく。
mayの中心は「余地を開く」と見ると整理しやすい
may を「許可の助動詞」と覚えると、推量の may が別の意味に見える。
一方で、may を「余地を開く助動詞」と見ると、許可と可能性を同じ地図の上に置ける。
ここでいう余地とは、何でもありという意味ではない。事態を完全に確定したり、閉じたりせず、ある可能な方向として残しておくということである。

この見方を使うと、You may leave now. と He may be at home. は、かなり近くなる。
許可のmayは、行為の余地を開く
You may leave now. では、leave now という行為が話題になっている。
この文で may がしていることは、「あなたは帰る」と事実を述べることではない。また、「帰れ」と命令することでもない。
話し手は、聞き手が帰るという行為に対して、それをしてもよいという空間を開いている。
- 対象は、聞き手や主語の行為。
- 話し手は、その行為を禁止していない。
- むしろ、その行為が実現してもよい余地を認めている。
この意味で、許可の may は「行為の余地」を開く語である。
もちろん、許可には権限の問題も絡む。既存記事の /auxiliary-verb-can3/ でも扱われているように、may の許可は、can の許可よりも、話し手が許可を与える側に立っている感じを帯びやすい。
ただし、この記事で見たいのは may と can の違いそのものではない。may の許可の中にある「話し手が行為の余地を開く」という働きである。
推量のmayは、命題の余地を開く
次に、He may be at home. を見てみよう。
ここで may が向かっているのは、相手の行為ではない。話し手は「彼に家にいろ」と許可しているわけではない。
問題になっているのは、he is at home という文全体の内容である。
話し手は、それを断定していない。しかし、否定もしていない。「家にいる」という可能性を、まだ開いたままにしている。
- 対象は、主語の行為ではなく文全体の内容。
- 話し手は、その内容を事実として確定していない。
- しかし、その内容が成り立つ余地を認めている。
つまり推量の may は、「命題の余地」を開く語である。
許可の may と推量の may は、日本語訳では大きく離れる。でも英語側では、どちらもある事態を閉じず、可能なものとして残すという働きをしている。
mayは「弱い断定」ではなく「閉じない判断」である
ここで注意したいのは、may を単純に「弱い断定」とだけ考えないことだ。
He may be at home. は、He is at home. より弱い。それは確かである。
しかし、may の面白さは、単に確信度が低いことではない。話し手が、事態を事実として閉じず、可能性の側に置いていることにある。
家にいる、と事実として置く。
He may be at home.
家にいる可能性を、開いたままにする。
この違いは、許可の may にも通じる。
You leave now. と言えば命令のように聞こえる。You may leave now. と言えば、行為を強く押し出すのではなく、聞き手がその行為を選べる余地を作る。
may は、強く押し切る語ではない。ある方向を可能なものとして認めながら、現実を完全には固定しない語である。
R/P用法で見ると、mayの向かう先が分かる
ここから、少しだけ専門的な見方を導入する。
法助動詞を考えるとき、研究書や文法書では、根源的用法と認識的用法、あるいはR用法とP用法のような整理が使われることがある。
中野清治(2014)『英語の法助動詞』でも、法助動詞をR用法とP用法に分けて扱う枠組みが参照できる。ただし、この記事では学術的な分類を厳密に再現するのではなく、学習者向けの読み方として単純化する。

R/P用法で見ると、may の許可と可能性は、同じ語が別々の方向へ働いているものとして整理できる。
R用法のmayは、行為や状況に向かう
R用法の may では、余地は現実世界の行為や状況に向かう。
You may enter the room. なら、enter the room という行為が許されている。Visitors may use this entrance. なら、訪問者がこの入口を使うことが認められている。
ここでの may は、聞き手や主語に対して、行為の実現条件を開いている。
このとき、話し手の権限が感じられる場合、may は少し硬い。学校、規則、親、管理者、公式な案内など、許可を与える側が見えやすい文脈では may が自然になることがある。
ただし、すべての許可を may で言えばよいわけではない。日常会話では can のほうが柔らかく自然なことも多い。
ここで大切なのは、may の許可を「can より硬い」とだけ覚えないことだ。may の許可には、話し手や規則が、行為の余地を正式に開くという感じがある。
P用法のmayは、命題全体に向かう
P用法の may では、余地は行為ではなく命題に向かう。
He may be at home. なら、「彼が家にいる」という内容が成り立つ余地がある。
This may be the reason. なら、「これが理由である」という判断が成り立つ余地がある。
It may rain tomorrow. なら、「明日雨が降る」という内容が成り立つ余地がある。
このとき may は、話し手が世界をどう見ているかを表す。出来事そのものを報告しているというより、話し手が「その可能性は開いている」と判断しているのである。
同じ「余地」が、向かう先を変えている
ここまでの整理をまとめると、may の許可と可能性は次のように並べられる。
| 用法 | 余地が向かう先 | 日本語訳 | 見方 |
| 許可 | 行為・状況 | 〜してもよい | R用法寄り |
| 可能性・推量 | 命題・判断 | 〜かもしれない | P用法寄り |
訳語は違う。しかし、英語側では「余地を開く」という働きが残っている。
may は、行為に向かえば許可になり、命題に向かえば可能性になる。
この一文が、この記事でいちばん持ち帰ってほしい見方である。
mayとcanの違いは、この記事の中心ではなく補助線である
may の許可を考えると、can との違いを避けて通ることはできない。
ただし、この記事の主題は「may と can の許可はどう違うか」ではない。その話だけをすると、may の許可用法の説明にはなるが、may の中で許可と可能性がどうつながるかまでは見えない。
ここでは、can との違いを補助線として使う。
canは「可能である」側に寄りやすい
can の中心には、ざっくり言えば「実現可能性」がある。
I can swim. なら、泳ぐ能力がある。You can use this room. なら、その部屋を使うことが可能である。Accidents can happen. なら、事故が起こる可能性がある。
can も、能力、許可、可能性へ広がる。その点では may と似ている。
しかし、許可の can は、話し手が強く権限を行使するというより、「状況として可能である」「しても大丈夫である」という柔らかい響きになりやすい。
この部屋を使って大丈夫です。
You may use this room.
この部屋を使用してもよい。
日本語にしても、can は柔らかく、may は少し公式な感じになりやすい。
既存記事 /auxiliary-verb-can3/ では、この違いを権限の所在から説明している。can は話し手が権限者として前面に出にくく、may は話し手や規則が許可を与える側に立ちやすい、という見方である。
mayは「許す側の余地」と「ありうる余地」を開く
can との違いを踏まえると、may の許可用法はよりはっきり見えてくる。
may の許可では、話し手や規則が、その行為を閉じずに開く。だから、学校の規則、公式な案内、親が子に与える許可、管理者の許可などでは、may が硬く響きながらも自然になる。
一方、may の推量では、話し手が命題を閉じずに開く。だから、He may be right. では、「彼が正しい」という判断を確定せず、可能なものとして残す。
- 許可: 話し手や規則が、行為の実現余地を開く。
- 可能性: 話し手が、命題の成立余地を開く。
can と比べると、may は「可能である」よりも、話し手の側から「開いておく」「認めておく」感じが前に出やすい。
この違いを押さえると、may の許可と推量を無理やり別暗記する必要が少し減る。
ただし、may/can比較だけでmay全体を説明しない
ここでブレーキもかけておきたい。
may と can の比較は便利だが、それだけで may のすべてを説明できるわけではない。
許可用法だけなら、権限の所在という見方がかなり効く。しかし、He may be at home. の may では、相手への権限は問題になっていない。
つまり、may/can比較は許可用法を深める補助線であって、may の許可と可能性をつなぐ主役ではない。
「かもしれない」は弱さではなく、話者態度である
may の推量用法を「かもしれない」と訳すと、どうしても弱く聞こえる。
もちろん、must の「〜に違いない」と比べれば、may は確信度が低い。話し手は断定を避けている。
しかし、may を単に「自信がない語」とだけ見ると、文法としての面白さが薄くなる。
may は、話し手が文全体に対してどのような態度を取っているかを示す語である。
mayは事実の報告ではなく、可能性の置き方を示す
He is at home. と He may be at home. を比べよう。
前者は、彼が家にいることをそのまま置いている。
後者は、彼が家にいることを可能性として置いている。
話し手は、その内容を事実として置く。
He may be at home.
話し手は、その内容を可能性として置く。
may が入ることで、文は現実から少し浮く。出来事そのものではなく、出来事に対する話し手の構えが見えるようになる。
この意味で、may は「弱い断定」ではなく、断定しないという話者態度を文に置く助動詞である。
許可のmayにも話者態度がある
話者態度というと、推量だけの話に見えるかもしれない。
しかし、許可の may にも話者態度はある。
You may leave now. では、話し手は聞き手の行為に対して、禁止でも命令でもなく、許可という立場を取っている。つまり、聞き手の行為に対する話し手の構えが示されている。
許可の may は、相手の行為に対する話し手の構え。
こう見ると、許可と推量はさらに近づく。
どちらも、出来事そのものをそのまま述べるのではなく、出来事に対する話し手の立場を入れている。
mayは「話し手が余地を管理する」語である
少し抽象的に言えば、may は話し手が余地を管理する語である。
許可では、相手が行為できる余地を開く。推量では、命題が成り立つ余地を開く。

この見方は、may を暗記から少し解放してくれる。
「この may は許可か、推量か」と訳語で選ぶ前に、「may が開いている余地はどこに向かっているのか」と見る。
それだけで、同じ may がなぜ複数の訳語になるのかが見えやすくなる。
この説明で言えること、言いすぎてはいけないこと
ここまで、may を「余地を開く」という見方で説明してきた。
ただし、英語の助動詞を1つのコアイメージだけで完全に説明しようとすると、かえって雑になる。
may には、許可、可能性、祈願、譲歩、目的、古風な可能など、さまざまな広がりがある。すべてを「余地」だけで処理すると、細部の違いがつぶれてしまう。
「余地」は万能説明ではなく、入口である
may の核を「余地」と見ると、許可と可能性はかなりつながる。
しかし、may のすべての文が同じ強さ、同じ文体、同じ会話効果を持つわけではない。
たとえば May you be happy. のような祈願文は、現代の日常会話ではかなり定型的で文語的である。You may well wonder why. のような表現も、単純な許可や推量だけでは説明しにくい。
つまり、コアイメージは地図であって、現地そのものではない。
R/P用法の境目も、ときに揺れる
R用法とP用法も、硬い箱ではない。
文によっては、行為に向かうのか、命題に向かうのか、両方の読みが近づくことがある。法助動詞は、まさにそうした意味の揺れが出やすい場所である。
だから、分類名だけを覚えても、実際の英文では迷う。
大切なのは、「これはR用法」「これはP用法」とラベルを貼って終わることではない。may がどの対象に余地を開いているのか、文脈の中で読み取ることである。
個別記事と合わせると、mayの輪郭が濃くなる
この記事は、may の許可と可能性の関係を中心にした。
既存の /auxiliary-verb-may1/ では、may の用法とコアイメージがより広く整理されている。/auxiliary-verb-can3/ では、許可における can と may の違いが権限の所在から説明されている。/modal-rp-uses/ では、助動詞全体のR/P用法の見取り図が扱われている。
この3つを合わせると、may はかなり立体的に見えてくる。
- この記事で、may の許可と可能性を「余地」からつなぐ。
- /auxiliary-verb-may1/ で、may の他用法とコアイメージを見る。
- /auxiliary-verb-can3/ で、許可における may と can の違いを見る。
- /modal-rp-uses/ で、助動詞全体のR/P用法へ広げる。
まとめ:mayは「許可」と「かもしれない」を別々に持つだけではない
最後に、この記事の内容を整理する。
- may の「してもよい」と「かもしれない」は、日本語訳では大きく分かれて見える。
- しかし英語側では、どちらも「余地を開く」という感覚でつながる。
- 許可の may は、相手や主語の行為が実現してよい余地を開く。
- 推量の may は、命題全体が成り立つ余地を開く。
- R/P用法で見ると、may の余地が行為へ向かうか、命題へ向かうかを整理しやすい。
- may/can比較は許可の質を考える補助線だが、may全体の説明そのものではない。
may は、別々の意味を無理やり詰め込んだ不思議な語ではない。
もちろん、用法ごとの違いはある。文体差もある。慣用表現もある。だから、すべてを一言で片づける必要はない。
それでも、may の許可と可能性は、まったく無関係ではない。
may は、現実を閉じず、ある事態を可能なものとして開いておく助動詞である。
その余地が行為に向かえば「してもよい」になる。命題に向かえば「かもしれない」になる。
この見方を持っておくと、may は単なる用法一覧ではなく、話し手が世界をどう開いておくかを示す語として見えてくる。
そして、その瞬間に「許可」と「かもしれない」は、思ったほど遠い意味ではなくなる。
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基本情報やコアイメージを押さえたら、同じ助動詞の別用法や近い助動詞との比較も読むと、意味の広がりが立体的に見えてきます。


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