✔この記事の要点
この記事では、〈意味論〉について扱います。
〈意味論〉とは、その名の通り言語学における(言語内の)意味を扱う部門です。しかし、「意味を扱う」と一口で言っても実際には事情は複雑で、様々な意味の捉え方や意味論の種類が存在します。
そこで、今回は以下の観点から意味論の全体像を見ていきたいと思います。
このような内容を通して、意味論という分野の全体像をお届けできたら幸いです。
意味論の定義:意味論は「意味」を扱う部門
さて、まずは意味論の説明です。
当たり前のような定義ですが、意味論と呼ばれる言語学の分野では、言語の意味を分析します。
言語学における意味論の位置付け
ここで、言語学という学問における〈意味論〉の位置付けを確認しておきます。
以下のイラストの通り、(内的)言語学は大きく「音」「構造」「意味」という3つの側面に分類されます。
そして、〈意味論〉は言うまでもなく言語の「意味」の側面に関する部門です。
しかし、上記のイラストを見て分かる通り、言語の「意味」の領域に、〈意味論〉の他に〈語用論〉という部門も存在しています。
そこで次は、この両者の違いを簡単に見ていきたいと思います。
言語学における「意味」【意味論と語用論の違い】
『意味論は、言語の意味を扱う領域』という点はご理解いただけたと思いますが、ここで〈語用論〉と呼ばれる部門と区別しておく必要があります。なぜなら、〈語用論〉も同様に言語の意味を扱う領域だからです。
『時計持ってる?』という表現が持つ意味は?
例えば、『時計持ってる?』という言語表現を例にして考えてみましょう。
この表現を、文字通りに解釈するならば、『時計の所有を尋ねる』という意味を持っていることが分かります。この『言語そのものが持っている意味』を扱うのが〈意味論〉です。
その一方で、『時計持ってる?』という表現は、あるシチュエーションでは『時間を教えて下さい』という依頼の意味を持ち、そしてそのように相手に伝達されます。しかし、『時計持っている?』という言語表現そのものには、言うまでもなく『時間を教えて下さい』という依頼の意味はありません。こちらの『コンテキストに依存して実際の言語運用で伝達される意味』を扱うのが〈語用論〉です。
このように、〈意味論〉と〈語用論〉では、『言語使用者やコンテキストを含めるかどうか』という点が大きく異なってます。
意味論と語用論の違い
- 意味論
『言語使用者やコンテキストを含めない言語の意味』を扱う言語学の分野
➤➤言語に固有の意味を対象にする - 語用論
『言語使用者やコンテキストを含めた言語の意味』を扱う言語学の分野
➤➤言語が実際に使用されることで生じる意味を対象にする
補足説明:語用論を意味論に含める場合もある
意味の3つの種類
〈意味論〉と〈語用論〉の区別に関連して、意味の3つのレベルを取り上げておきます。
意味の3つのレベル
- 語の意味(語彙意味論):意味論が対象とする
- 句・文の意味(構成意味論):意味論が対象とする
- 発話の意味(話し手が意図する意味):語用論が対象とする
意味論にはどんな種類が存在するのか?
今まで書いてきた通り、〈意味論〉は意味を扱う言語学の部門ですが、意味の捉え方や概念説明の違いによって、いくつかの種類があり、さらにそれらにも下位分野が存在します。
以下で説明する意味論は、『意味を扱う』という点では全て共通ですが、意味の定義やアプローチが異なります。そのことを念頭に置きながらご覧ください。
形式意味論
はじめに紹介するのが〈形式意味論〉と呼ばれる意味論の種類です。〈形式意味論〉は、1973年の モンタギュー (R. Montague) の考え方が出発点とされています。
形式意味論の特徴
そんな〈形式意味論〉の特徴は、
という点にあります。
ここで重要なのは「人間抜き」という箇所です。
例えば、『針(needle)』という単語で考えてみましょう。この単語から、私たちは「痛い」とか「裁縫に使う道具」とか色々なイメージを想起します。簡単に言ってしまえば、〈形式意味論〉ではこのような人間による解釈・認識を対象にはしません。
つまり、〈形式意味論〉では、『針(needle)』という単語は、『針(needle)』という集合に含まれるものを指示する、というような客観的な分析を行います。
形式意味論における意味の捉え方
人間の認知や解釈を含まない〈形式意味論〉(厳密に言えば形式意味論の中でも〈外延意味論〉)では、「意味」を次のように捉えます。
形式意味論は数学や論理学を使う
このような姿勢を持つ〈形式意味論〉ですが、言語表現と指示対象の対応関係を記述するために、数学と論理学の考え方を使用します。感覚的にお分かりいただけると思いますが、「数学」という学問は他にはない「説得力」や「客観性」というものを持ち合わせています。〈形式意味論〉は、厳密かつ客観的な意味分析を行おうとしている学問と言うことができるかもしれません。
形式意味論の弱点
形式意味論では、「このレストランは美味しい」というような比喩表現を扱うことを苦手とします。
〈形式意味論〉は、人間抜きで言語表現とその指示対象を分析しようとしているため、比喩表現のような「人間らしい表現」を扱うことが得意でないのは当然の結果です。
比喩表現は、認知言語学が得意とする分析対象です。詳しくは以下の記事をご参照ください。
形式意味論に関する補足説明
以上のような特徴を持つ〈形式意味論〉ですが、その内部には様々な種類の形式意味論が存在します。
このような意味論も〈形式意味論〉という大きなカテゴリーに含まれます。個別の解説はできませんが、〈可能世界意味論〉と呼ばれるものだけ次に簡単に説明します。
可能世界意味論
上記の〈形式意味論〉における下位分野。論理哲学などにおける〈可能世界〉という概念を適応した意味論です。
可能世界意味論の特徴
〈形式意味論〉の下位分野に属するため、『言語表現と指示対象の対応関係を形式的に記述する』という特徴を持っているわけですが、その中でも特に〈可能世界意味論〉は、『状況(≒可能世界)に応じて言語表現の指示対象が変わる』という特徴を持った意味論のことです。
例を出して考えると、「大統領」という言語表現(単語)は、「いつ」と「どこ」という状況に応じて、指示する対象が変わります。
例えば、「いつ」が「2015年」で、「どこ」が「アメリカ合衆国」という値を取れば、「大統領」が指示する対象は「バラク・オバマ」になります。また、「いつ」が「2018年」になれば、「ドナルド・トランプ」になります。
さらに、「日本」という可能世界においては、「大統領」という言語表現の指示対象はゼロになります。
今のは非常に簡単な例ですが、このような言語の意味の解釈状況への依存性を論理式や条件文などで形式化したものが〈可能世界意味論〉になります。
概念意味論
次に紹介するのが〈概念意味論〉です。概念意味論は、言語学者 ジャッケンドフ (Ray S. Jackendoff) が出発点です。
概念意味論の特徴
〈概念意味論〉について特筆すべきは、
という点です。
生成文法とは、ノーム・チョムスキー (Noam Chomsky) が1950年代に考案した言語理論です。ジャッケンドフは、そのチョムスキーの生成文法の考え方を意味論にも当てはめて考えようとしたのです。
〈概念意味論〉は、〈生成文法〉の考え方を踏襲しています。〈生成文法〉の基本的な考え方を交えながら、〈概念意味論〉の基本姿勢を見ていきます。
1.概念(意味)の無限の創造性
そもそも〈生成文法〉とは、句・文の構造にフォーカスする分野(統辞論)ですが、次のような考え方を持っています。
軽く意味不明なことを言っていますが、私たち人間は今まで見たことも聞いたこともない言語表現を新たに生み出すことができます。
例えば、
『黄色いズボンを履いた赤いゴリラが青いリンゴを食べた』
このような表現を適当に書いてみましたが、この文を書いた私は人生の中でこのような奇妙な場面を見たこともなければ、他の誰かがこの表現を書いたり話したりしている場面に遭遇したこともありません。しかし、私はこうして今この瞬間に新たな表現を生み出すことができています。
このような人間の言語の創造的側面を踏まえて〈生成文法〉が用意した答えが、先ほどの『人間は、新しい無限の句・文を生成するための有限個の規則系を持っている』というものなのです。言語表現は1つずつその都度学習されていくのではなく、あらゆる言語構造は有限個(もしかしたらたった1つだけかも)の規則によって生成される、生成文法ではこのように考えます。
そして重要なのは、今まで見たことも聞いたこともない句・文を生成できるのと同時に、その数の文だけ意味(概念)も生成されているということです。先ほどの『黄色いズボンを履いた赤いゴリラが青いリンゴを食べた』という例文の意味を読者の皆さんは理解することができたはずです(そのような言語表現を読者の皆さんが今まで一度も見聞きしたことがないのにです)。
つまり、
と考えることができます。これが〈概念意味論〉の基本姿勢です。
このように「有限規則による無限の創造性」という点で、〈概念意味論〉は〈生成文法〉を模倣しているのです。
2.概念(意味)の生得説
さて、私たち人間は、無限の句・文を生成するための有限個の規則系と、無限の概念を生成するための有限個の原理を持っている、という〈生成文法〉と〈概念意味論〉の基本姿勢を見てきました。
ここで浮かぶのが、次のような疑問です。
詳しい説明は割愛しますが、赤ちゃんの言語成長などの観察を踏まえて〈生成文法〉が提案した考え方が、
というものです。これは有名な〈普遍文法〉に通じる話であり、このような立場は〈言語の生得説〉や〈合理主義〉と呼ばれます。
そして、〈概念意味論〉も〈生成文法〉の基本的な考え方を採用しているわけなので、
という考え方を掲げています。
したがって、概念意味論の研究者たちの仕事の1つは、人間が先天的に与えられた概念生成のメカニズムを解明することです。
概念意味論のまとめ
ここまで見てきた概念意味論の基本的な立場をまとめておきます。
- 概念意味論では、生成文法に倣い、有限原理による人間の意味概念の無限の創造性を仮定する
- その有限原理は、生得的に人間に備わっているものである
概念意味論に関する補足
概念意味論の参考書籍
概念意味論をについてもう少し詳しく知りたい方は必見の書籍です。筆者の文体が非常にやさしく読みやすいため、入門書としては最適だと思います。
フレーム意味論 (≒百科事典的意味論)
〈フレーム意味論〉とは、言語学者 フィルモア (Fillmore) の〈格文法〉と呼ばれる言語理論を意味論に応用した考え方になります。
フレーム意味論の特徴
〈フレーム意味論〉の最大の特徴は、〈百科事典的意味〉を導入した点にあります。
例えば、『レストラン』という単語を考えてみましょう。『レストラン』という単語から、『客』・『料理』・『代金』・『メニュー』・『シェフ』など、様々なイメージを想起することができます。
これらの知識の総体が〈百科事典的意味論〉であり、日常の経験を通して一般化されたこれらの要素の型を主に認知言語学などでは〈フレーム〉と呼びます。
ここでは、『レストラン』の〈百科事典的意味〉のセットのことをとりあえず『レストランフレーム』とでも呼んでおきましょう。
上のイラストが、簡易的な「レストラン」という知識の総体です。
『このレストランは美味しい』の意味は?
さて、ここで先ほどの〈形式意味論〉で取り上げた『このレストランは美味しい』という例文を考えてみたいと思います。
この例文は、文字通りに理解すると『レストランという種類の飲食店が美味しい』となってしまいますが、言うまでもなく私たちがイメージするのは、『このレストランで提供される料理が美味しい』というものです。
『レストラン』という言葉そのものは『料理』という意味を持っていないのに、『このレストランで提供される料理が美味しい』という文意を伝達したり解釈することができるのでしょうか?
それは、他でもない〈フレーム〉のおかげです。
私たちは先ほど適当に名付けた『レストランフレーム』を有しているため、「レストランという場所に行けば料理が食べられる」という概念を持ち得ているのです。
何となく〈フレーム〉という考え方を理解していただけたでしょうか?
フレーム意味論における意味の捉え方
〈フレーム〉という考え方を重視する〈フレーム意味論〉では、言語の「意味」を次のように捉えます。
先ほどの『このレストランは美味しい』という表現では、『レストラン』という単語は『飲食店』という意味を独立的に持っているわけではなく、『レストランフレーム』や使用状況に応じて、『そこで提供される料理』という意味を持つようになり、実際にそのように解釈されるのです。
フレーム意味論における言語分析
言語の意味をそれが属する〈フレーム〉の中で考える〈フレーム意味論〉では、例えば『代金を払う』という言語の意味は、以下の『レストランフレーム』の中の赤丸で囲ったイベントをピックアップしたものだと分析します。
ここで重要なのは、『代金を払う』という動詞(イベント)は、『客(買い手)』と『レストラン(売り手)』という参与者がいなければ記述説明することも、理解することもできません。
〈フレーム意味論〉では、複数の単語を〈フレーム〉という単位で統合させることによってダイナミックで体系的な意味論を構築しています。これがフレーム意味論の最大の特徴です。
補足説明
生成意味論
最後に紹介するのが〈生成意味論〉です。ここでは、〈生成意味論〉の歴史にフォーカスします。
〈生成意味論〉は、極端に言うと〈生成文法〉という言語学から生じた考え方の1つです。先ほど〈概念意味論〉の欄で〈生成文法〉の説明をしましたが、ここでも再度〈生成文法〉に関する基礎知識から見ていきましょう。
生成文法の基礎知識
〈生成文法〉は、1950年代にアメリカの言語学者 ノーム・チョムスキー (Noam Chomsky) によって創設された言語学です。
生成文法では、句・文の構造を扱う〈統辞論〉に重点を置き、〈意味論〉や〈音韻論〉はサブの立ち位置とされています。言い換えると、〈生成文法〉では、構造を規定する規則によって構造が生成されたあと、別の規則によってその構造の意味解釈が決まる、という姿勢です。
生成文法に対する不満
しかし、1960年代になると〈生成文法〉に対する不満がその内部から生じるようになりました。その不満とは、本当に簡単に言ってしまえば、「生成文法でやっているような意味の扱い方は間違っている」というようなものです。
そこで、生成文法内部の言語学者たちが、「〈統辞論〉ではなく〈意味論〉を中心に据えて、だけどやっぱり〈生成文法〉の枠組みを残したまま、新しい言語理論を作りたい」という何ともどっちつかずでワガママなことを考え始めました。こうして誕生したのが〈生成意味論〉です。
〈生成文法〉における意味分析(=解釈意味論)では扱えないような内容を扱えるようになることで、〈生成意味論〉は新天地を目指したのです。
生成意味論の結末
しかし研究が進むにつれ、意味を中心に据えた〈生成意味論〉では上手くいかないことが分かってきました。そして、〈生成文法〉の枠組みを残した〈生成意味論〉ではなく、その枠組みに囚われない新しい枠組みで理論を作ることになったのです。それが〈認知言語学〉です。
〈生成意味論〉と〈認知言語学〉の繋がりとしては、『意味と文法を連続体として捉える』という点が挙げられます。
〈生成文法〉が統辞論と意味論を分離させていたのに対し、〈生成意味論〉では意味を中心に据えて、文構造などを意味構造と関連付けながら分析しようとしていました。
この『意味と文法の不可分な境界線』という考え方が〈生成意味論〉から〈認知言語学〉へと受け継がれたのです。
認知言語学は生成意味論のアップデートなのか?
以上のような流れを見てくると、『生成意味論が進化して、認知言語学に発展した』とも言えそうですが、実際にはその関係性は複雑なようです。
なぜなら、研究者によって意見の立場に相違があるからです。
例えば、〈認知言語学〉の創設者の1人であるジョージ・レイコフ (George Lakoff)は、「認知言語学は生成意味論をアップデートさせたものである」と言っています。
しかしその一方で、〈認知言語学〉のもうひとりの創設者であるロナルド・ラネカー (Ronald Langacker)は、「生成意味論と認知言語学は特に関係ない」と言っています。
このように、「認知言語学は生成意味論のアップデートなのか?」という問いに関しては、一貫した答えが出ていないのが現状で、答えを出す必要もないのかもしれません。
意味論の種類のまとめ
以上で意味論の種類の解説は終了です。
クリックするとその解説部分まで戻れるようになっています。
もちろん、これが意味論のすべてではありませんが、意味論という分野のイメージを理解しやすくなっていただければ幸いです。
意味論の歩み「意味の除外と研究の遅れ」
最後に意味論の研究の歴史を取り上げておきたいと思います。
意味論の歩みを一言でまとめると、「長い間の嫌われ者」です。その理由は単一的ではなく複合的なものですが、ここでは2つの理由を紹介したいと思います。
理由1:言語学は記述文法を対象にするから
まずは言語学の基本姿勢に関わる話です。
【言語学Ⅰ】言語学とはどんな学問か?定義と諸概念をわかりやすく解説でも触れた通り、言語学という学問は「言語の事実をありのままに記述すること」を目標として掲げています。この「言語のありのままの事実・姿」を記したものが〈記述文法〉と呼ばれ、言語学の第一研究対象とされています。
さてそんな〈記述文法〉と最も相性が良いのは、「音」です。音はデータが記録可能であり、物理学でも研究されているように、極めて具体的な対象であり、物理学が先に研究の道標を示してくれています。
その一方で「言語の意味」という存在はどうでしょうか?音と比べると、具体的でもなければ物理的でもありません。非常にフワフワした存在です。
このようなフワフワした存在である意味は、言語に関する事実をありのままを記述したい言語学とは相性が良くないのです。つまるところ、言語学は音の方が居心地が良いわけです。
このような理由から、言語学は初期の頃から音声ばかりを相手にして、意味を相手にすることはありませんでした。
理由2:行動主義の影響を受けたから
2つ目の理由は、ある時期に流行った学問思想が絡んでくるお話です。その学問思想とは〈行動主義〉と呼ばれるものです。
全ての学問全体における言語学の立ち位置から話を始めます。比喩的な表現が入りますが、大筋は外れていません。
言語学という学問は、他の学問分野と密接な関係を持っています。例えば、歴史学・人類学・分類学・社会学・教育学・(現代では生物学・認知科学・コンピューター科学)などです。
時代は遡ること、およそ1800年代。その当時、言語学の「お友達」の中に「心理学」がいましたそのお友達は、人間のココロ(mind)についてアレコレと想像を膨らませるような子です。
そんな心理学という学問に、〈行動主義〉という新しい考え方が登場するようになりました。行動主義とは「科学は、全ての観察者に観察可能な事象のみを取り扱うべきである」という考え方であり、その「等しく観察可能な事象とは行動であり、目に見えないココロについて考えるのはやめろ」というココロの研究を否定するものでした。
すなわち、
科学的方法を採用するとは、ココロなどというシロモノは存在しないという宣言することである
というものです。とにかく科学的方法論からココロを除外したかったのが〈行動主義〉です。
さて、心理学と友達だった言語学にもこの〈行動主義〉は大きな影響を与えることになりました。言語学は「(自然)科学学問」という学問界の1軍メンバーになることを夢見ていたため、〈行動主義〉の傘下に入ることになります。
ここで意味のフワフワしたどっちつかずの性格を思い出してください。意味研究者は「意味は話者のココロに内在する」と言っていたため、〈行動主義〉の目の敵にされるのは容易に想像できます。
ここからは現実の学生生活と同様です。「イケイケ1軍メンバーになりたい言語学くん」は、1軍メンバーのボスである〈行動主義〉が毛嫌いする「意味」とつるむ訳にはいきません。「意味ってココロの中にあるんだよ」って言った瞬間、1軍メンバーへの昇格は途絶えることでしょう。
1軍メンバーという学内ステータスを得るために、言語学は意味と決別することを選んだのです。
以上のことから、言語学という学問の中で意味は邪魔者扱いされ、研究に遅れが生じていました。
1軍メンバーを目指した言語学と絶縁された意味論のその後
彼らのその後は皮肉なものです。
まず、イケイケ1軍メンバーを目指し、行動主義に入り浸ることを決意した言語学ですが、現代では「あそこでお前は1軍メンバー(自然科学の仲間入り)で輝いていたぜ!」と言う研究者はほとんどいません。今では言語学における行動主義は過去の遺産であり、むしろ批判されています。皮肉なことに、現代の言語学(主にチョムスキー言語学)は「ココロの研究」として地位を築いていいます。
つまり、言語学は元々つるんでいた「人間のココロについてアレコレ考える心理学ちゃん」とも縁を切って、「ココロについて考えるなんて科学のやることではないと威張る行動主義」についた訳ですが、結局は最終的に言語学も「おれもココロについて考えたーい」となったわけです。
言語学はつるむ友達を見る目がありません。これも言語学に友達がおおい=他の学問と密接に関係しているからでしょう。常に自分の居場所が安定しないのです。
言語学に絶縁された意味論ですが、科学におけるココロの研究の地位向上に伴い、言語学の相手にされるようになりました。主に認知言語学によって言語の意味の側面についても記述・説明できるようになっています。今でも研究が難航している分野であることは間違いありませんが、無事報われそうで何よりです。
全体のまとめ
これにて『意味論①』は終了です。意味論とはどのような分野なのか、そして「意味」の捉え方をめぐってどのような種類の意味論が展開しているのか、意味論の全体像をお伝えできていましたら幸いです。
- 意味論は、自然言語の「意味」を扱う言語学の分野
- 言語使用者やコンテキストに依存しないのが意味論で、依存するのが語用論
- 意味論の中でも、「意味」の捉え方やアプローチの仕方によって様々な種類が存在する
特に意味論の種類に関しては、詳細な説明ができなかったので大変申し訳なく思っています。興味を持たれたトピックがありましたら、ご自身で調べていただけたら幸いです。以下の参考資料も参考になると思います。
参考資料
当記事を作成する際に参考にした資料をご紹介します。
- Saeed, J. I. (2009) Semantics (3rd edition). Wiley-Blackwell.
- Yule, George (2020) The Study of Language (7th Ed.), Cambridge University Press.
- 西村正樹・野矢茂樹 (2013)『言語学の教室』中公新書
- 米山三明 (2009)『意味論から見る英語の構造 移動と状態変化の表現を巡って』開拓社
- 籾山洋介 (2010)『認知言語学入門』研究社
- 斎藤純男・田口善久・西村義樹 (2015) 『明解言語学辞典』三省堂
- 田中拓郎 (2019)『形式意味論入門』開拓社
- 大室剛志 (2019)『概念意味論の基礎』開拓社
- http://realize.jounin.jp/framesemantics.html
その名の通り〈形式意味論〉の入門書です。数学や論理式を使う形式意味論ですが、できるかぎり噛み砕いて解説されています。
〈概念意味論〉の基本を知るなら最適な1冊です。生成文法の考え方も簡潔にまとめられているので、概念意味論の理解がより深まると思います。
意味論についての他の記事はこちらから
今回は、意味論という領域の全体像を扱いましたが、意味論における個別のトピックは別記事で扱っています。
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