「太郎が」「太郎を」「太郎に」は、どれも名詞句「太郎」に一文字の助詞が付いた形です。学校文法では「が・を・に」を格助詞と呼びますが、生成文法では、この小さな要素を句の構造にどう組み込むのでしょうか。
KP(Case Phrase/格句)分析は、格を単なる名詞の付属物としてではなく、名詞句全体の外側に投射する機能範疇Kとして表します。日本語なら、入門的には「太郎が」を[KP [NP 太郎] [K が]]のように捉えます。
KPは「格を持つ名詞句」を構造として見える形にする仮説です。NPやDPの外側にKの層を置けば、格標識が名詞句全体の分布を決めるという一般化を表せます。ただし、すべての言語・構文に独立したKPが必要だという合意があるわけではありません。
三つの格助詞と三種類の名詞句分析を手がかりに、KPが何を説明し、どこから先が理論上の選択なのか考えてみましょう。
生成文法とはなにか?
生成文法が明らかにしようとするのは、話者が語を組み合わせて階層的な表現を作る仕組みです。「太郎」と「が」についても、発音順に隣り合うという記述で終わらず、どちらが主要部で、どちらがその補部になるかを明示します。
たとえば「太郎が走った」と「花子が太郎を呼んだ」には、同じ名詞「太郎」が現れます。それでも「太郎が」と「太郎を」では文中の分布が違います。KP分析は、その違いを名詞そのものではなく、名詞句を包むKの違いとして表そうとします。
生成文法の目的、言語能力と運用、普遍文法の考え方は、生成文法とは何かを基礎から解説した記事で確認できます。
KP分析はいつ広がり、どの理論で使われてきたのか
KPは1950年代の標準理論から一貫して必須だった範疇ではありません。1980年代後半から1990年代に、DP仮説や機能範疇の研究が発展するなかで広がった分析です。
| 時期・枠組み | 名詞句と格の代表的な捉え方 |
|---|---|
| 標準理論〜拡大標準理論 | NPを中心に句構造を作り、格標識や格付与を規則・変形・表層条件などと関係づけた |
| GB理論 1981〜1995年ごろ |
抽象格と格フィルターを主要な理論モジュールにし、後半にはNPの上へDPやKPなどの機能投射を置く研究が発達した |
| ミニマリスト以降 | KをMergeされる機能主要部として採用する分析がある一方、Case素性、Agree、dependent caseなどKPを必須としない分析も並立する |
DP仮説が名詞句の上に機能層を開いた
伝統的なNP分析では、名詞Nが名詞句全体の中心です。1980年代後半にDP仮説が提案されると、限定詞Dを主要部とするDPがNPを包む構造が広く検討されました。名詞句にも、節のCやTに似た機能層があるという発想です。
KPはこの流れをさらに一段進め、格を担うKがNPまたはDPを選択すると考えます。TravisとLamontagneによる1990年代初頭の研究は、初期のKP仮説として後続研究で参照されています。
「使われる分析」と「唯一の主流構造」を分ける
KPは日本語、イヌイット諸語、バスク語、古英語など、多様な言語の格や名詞句構造の研究で用いられてきました。しかし、どの言語でも必ず[KP K [DP D [NP N]]]が投射されるという単一の標準が確立したわけではありません。
言語によって格標識の位置も形態も異なり、同じ言語でも研究目的によってNP、DP、KPのどこまで仮定するかが変わります。したがってKPは、時代全体を代表する一枚の完成図というより、GB後期からミニマリスト期に発達した有力な構造仮説の一群です。
後の理論ではどうなった?|KをMergeとLabelingの対象として捉える
ミニマリストでは、Kは句構造規則で事前に用意される箱ではなく、NPやDPとExternal Mergeして構造を作る機能主要部として表せます。日本語の格助詞を弱いK主要部とし、構造全体のLabelingと結びつける提案もあります。ただしKの強弱や存在を全言語でどう統一するかは、現在も分析上の選択です。
標準理論、GB理論、ミニマリストの年代と概念の再編は、生成文法はどう変遷し、何を目指すのかをまとめた記事で俯瞰できます。
KP(格句)とは何か
KPはCase Phraseの略で、日本語では格句と訳せます。KはCaseを担う機能主要部、KPはそのKが投射した句全体です。
KがNPまたはDPを選択する
日本語の「太郎が」を最小限に単純化すると、次のように表せます。
[KP [NP 太郎] [K が]]
K=「が」
Kの補部=「太郎」を中心とするNP
KP全体=「太郎が」

「が」は名詞Nの一部ではなく、NP全体を補部に取るKとして置かれます。この違いにより、複数語からなる名詞句にも格標識が一度だけ外側に付くことを表せます。
- [あの赤い帽子をかぶった学生]が来た
- [先生が昨日すすめてくれた本]を読んだ
- [駅の近くに住んでいる友人]に会った
格助詞は帽子、学生、本、友人という単語だけでなく、角括弧内の構成素全体の外側に現れます。
樹形図は一つの分析を可視化したもの
上の図はKPの核心だけを示す教育用の簡略図です。Xバー理論に沿ってK′を描く分析、NPではなくDPをKの補部にする分析、格接辞の形態的な結合を別段階で扱う分析もあります。
樹形図の枝、節点、構成素の読み方は句構造・構成素・樹形図の記事、主要部・補部・指定部の区別はXバー理論の記事が前提になります。
後の理論ではどうなった?|X′を必須とせずBare Phrase Structureへ
KPという発想はミニマリストでも使えますが、必ずK′という中間投射をあらかじめ描くとは限りません。Bare Phrase Structureでは、KとNP・DPをMergeした結果にどのラベルが与えられるかを問い、KPという性質を導こうとします。
なぜKを名詞句の外側に置くのか
Kを外側に置く最大の狙いは、格標識が名詞一語ではなく、名詞句全体の統語的な分布に関わることを構造へ写す点にあります。
格標識は名詞句全体に作用する
「昨日図書館で会った学生が」の「が」は、もっとも近い「学生」に音韻的には付きます。しかし統語的には、関係節を含む「昨日図書館で会った学生」全体が主語として振る舞います。
もし「が」をNという語の内部にだけ置けば、複雑な名詞句全体がどの位置に現れられるかを別の仕組みで表さなければなりません。KがNP全体を選択するなら、KP全体の分布として一度に示せます。
主要部Kが句の分布を決める
生成文法では、句の主要部がその句の基本的な性質を決めると考えます。Vが投射するVP、Tが投射するTPと同じ発想で、Kが投射するKPは格の性質を持ちます。
- 太郎が走った:主語として現れるKP
- 花子が太郎を呼んだ:目的語として現れるKP
- 花子が太郎に本を渡した:Goalとして現れるKP
この一般化では、語彙内容「太郎」が主語・目的語・到達点を自由に決めるのではありません。外側のKと、それを認可する節構造・述語の組み合わせが分布に関わります。

後の理論ではどうなった?|Kの仕事を素性・Agreeへ分ける分析もある
現代の分析には、発音される格標識をKとして構造化しつつ、抽象的なCaseの認可はCase素性を認可するAgreeで説明するものがあります。反対に、独立したKPを置かず、DP上のCase素性や形態部門で格標識を扱う分析もあります。「外側に見える形」と「統語計算を動かす仕組み」を同じKに任せるかが論点です。
NP・DP・KPはどう違うのか
NP、DP、KPは互いに排他的な呼び名とは限りません。三つの層をすべて採用するなら、NPをDPが包み、そのDPをKPが包む入れ子構造になります。

| 分析 | 主要部 | 中心となる問い | 日本語での例 |
|---|---|---|---|
| NP | N(名詞) | 語彙的な名詞と修飾語はどうまとまるか | 太郎/赤い本 |
| DP | D(限定詞) | 定性、指示、数量などをどの層が担うか | この本/その三冊 |
| KP | K(格) | 名詞句全体の格と分布をどこに表すか | 太郎が/この本を |
NP分析は名詞を句の中心にする
もっとも単純な分析では「太郎」「この本」をNPとします。格助詞を後置詞や接語として別に結びつけるなら、すべての名詞句にDP・KPを置かなくても記述できます。
DP分析は限定詞の層を認める
英語のthe bookでは、theをD、bookを含むNPをその補部とするDP分析が代表的です。日本語に英語と同じDの層が常に必要か、無音のDを仮定するかについては議論があります。
KP分析は格の層を最上部に置く
DPとKPを両方採用するなら「この本を」は[KP [DP この [NP 本]] [K を]]のように表せます。ただし、これは説明用に日本語の語順へ単純化した表記です。DとNの細部やKへの形態移動は分析によって異なります。
後の理論ではどうなった?|固定テンプレートより言語ごとの証拠を問う
機能範疇が細分化された後も、すべての層を無条件に積むことは説明になりません。現代理論では、語順、一致、選択、格の重なり、名詞句の省略などから、その言語・構文にDやKを独立投射する根拠があるかを検討します。
日本語の「が・を・に」をKPでどう表すのか
日本語では格標識が名詞句の後ろに現れるため、KP分析を直感的に描きやすい面があります。同じNP「太郎」に異なるKをMergeすると、文中での分布が変わります。

「が」は主格と結びつく
「太郎が走った」では、「太郎が」が主語として現れます。入門的にはK「が」が主格(nominative)を形態的に表すと捉えられます。
ただし「が」には、総記、焦点、従属節での振る舞いなど、単純な主格ラベルだけでは尽くせない性質があります。KPの図は出発点であり、日本語の「が」の全用法を一つの線で説明する完成答案ではありません。
「を」は対格と結びつく
「花子が本を読んだ」では、「本を」が他動詞「読む」の目的語です。K「を」は典型的に対格(accusative)を表します。
一方、「道を歩く」「空を飛ぶ」の「を」のように、経路・場所と関係する用法もあります。目的語という学校文法上の一語だけで、すべての「を」の構造と意味を決めることはできません。
「に」は与格・到達点などと結びつく
「先生に本を渡した」では、「先生に」が受け手・Goalを表します。「学校に着いた」「机に本がある」「先生にほめられた」では、到達点、存在場所、受動文の行為者など、異なる関係が現れます。
同じ「に」が一種類のKなのか、複数のK・P・Appl構造が同じ音形で現れるのかは分析課題です。表面の助詞一文字と統語構造を一対一に固定しません。
「は・も」は単純な主格Kではない
「太郎は走った」の「は」や「太郎も走った」の「も」は、話題・対比・取り立てに関わります。「が」の代わりに見える環境があっても、単純に主格Kの別発音と決めることはできません。
- 太郎が来た:中立的な主格標示や焦点解釈
- 太郎は来た:話題または対比
- 太郎も来た:追加・取り立て
- 本は読んだ:目的語と関係する要素にも「は」が現れる
「は・も」をKPの外側のTopic・Focus層に置く分析、Kとの複合や置換として扱う分析などがあります。日本語が語順を変えても解釈を保てる仕組みは、日本語の語順とスクランブリングの記事で詳しく扱っています。
後の理論ではどうなった?|KだけでなくTopic・Focusを分ける
機能範疇の細分化が進むと、格、話題、焦点、取り立てを一つの助詞カテゴリーへ押し込まず、それぞれの素性や投射へ分ける分析が発達しました。AUXがINFLを経てT・Asp・Modalなどへ分かれたのと同じく、表面上近い小要素の仕事を構造上で分業させる方向です。
KPを支持する証拠と、証拠だけでは決まらない点
KPを採用する理由は、助詞が目に見えるからだけではありません。名詞句の分布、選択、格標識の組み合わせを、Kという主要部の性質として統一できるかが重要です。
分布の違いを主要部の違いとして表せる
同じNP「太郎」でも、「太郎が」「太郎を」「太郎に」では、どの述語とどの位置で結びつけるかが変わります。KPなら、語彙内容を保ったままKだけを変えてこの対立を表せます。

この見方は、主要部が補部を選び、句全体のカテゴリーを決めるという生成文法の一般設計にも合います。格だけの特別な付記ではなく、C・T・Dなどと同じ機能主要部の体系に置けます。
省略や格標識の重なりは構造を試す
言語によっては名詞句の一部が省略されても格標識が残る現象や、一つの名詞句に複数の格らしい標識が現れるcase stackingがあります。独立したKの層を認めると、こうした現象に複数の構造位置を与えやすくなります。
しかし、格標識が単独で残ることは、必ず統語部門にKPがあることを自動的に証明しません。形態部門で接辞が付く分析、後置詞Pとして扱う分析、複数の素性が一つの語形に実現する分析も比較対象になります。
表面の切れ目だけでは唯一の樹形図を選べない
「太郎+が」と分けられる事実は、少なくとも名詞と助詞が異なる要素だと考える動機になります。それでも、KがDPを補部に取るのか、Kが無音で助詞は別位置にあるのか、助詞がPなのかまでは決まりません。
後の理論ではどうなった?|KPを仮定するコストも比較する
ミニマリストのEconomyやInclusivenessの観点では、説明に働かない投射を増やすことは避けたいところです。ある言語の格一致やcase stackingをKPが簡潔に説明するなら採用する価値があり、Case素性だけで同じ一般化が得られるなら独立KPは冗長かもしれません。
KP・格理論・θ理論は何を分担するのか
KP、格理論、θ理論はいずれも名詞句に関わりますが、答えようとする問いが違います。三つを分けると、同じ例文を別角度から分析できます。
| 理論・概念 | 中心となる問い | 「先生に本を渡した」で見る点 |
|---|---|---|
| KP分析 | 格を担うKは名詞句のどの層にあるか | 先生+に、本+ををそれぞれKPとしてどう組み立てるか |
| 格理論 | 発音される名詞句はどこで抽象格を認可されるか | 各DPが構造上どの主要部・関係から格を得るか |
| θ理論 | 述語はどの参加者へどの意味役を与えるか | 渡すがAgent、Theme、Goalをどう要求するか |
形態格と抽象格は一致するとは限らない
日本語の「が・を・に」は目に見える形態標識です。古典的格理論の抽象Caseは、英語のJohnのように形が変わらない名詞句にも必要とされます。したがって、発音されるKを置くことと、抽象Caseを認可することは同じ主張ではありません。
KPを採用しながら抽象格の照合を別に認める分析も、無音のKが抽象格を表すと考える分析も、KPを置かずDPのCase素性だけを認める分析もあり得ます。
抽象格、格フィルター、主格・対格、Government、Agreeへの再編は、生成文法の格理論とGovernmentの記事で詳しく解説しています。
格標識とθ役割も一対一ではない
「先生に本を渡した」の先生はGoal、「先生にほめられた」の先生はAgentに近い解釈です。同じ「に」が異なるθ役割と結びつきます。反対に、ThemeであるJohnは能動文で目的語・対格になり、受動文で主語・主格になります。
意味役が決まれば格標識が自動的に一つ決まるのではなく、語彙的な項構造と統語的な格認可が相互に制約します。Agent、Theme、Goal、Experiencer、θ基準は、θ理論の記事で例文から確認できます。
後の理論ではどうなった?|一つのモジュールを複数の関係へ再編する
GB理論では格理論とθ理論を独立モジュールとして整理しました。ミニマリストでは、θ役割をMerge位置と語彙意味に、Caseを素性・Agree・局所性に関係づけます。KPを採用する場合も、Kという層だけに意味役、形態格、抽象格の全責任を負わせません。
KPを採用しない分析と現在の見通し
KPは格標識を構造化する強力な道具ですが、観察事実そのものではなく仮説です。対案と限界を並べることで、どの説明にKPが必要なのかが明確になります。
NP・DPの素性として格を持たせる
独立したKPを置かず、NPやDPにCase素性を持たせ、T・v・PなどとのAgreeや形態実現で格を説明できます。この分析では、名詞句の最上位カテゴリーはNPまたはDPのままです。
投射が少ない利点がある一方、格標識が独立して振る舞う現象や複数の格層を、素性と形態規則だけでどこまで自然に導けるかを示す必要があります。
KではなくPや他の機能主要部を使う
与格や場所格の標識をP、受け手を導入する要素をAppl、話題助詞をTopicと分析することもできます。特に「に」のような多機能要素をすべて同じKにすると、統語的・意味的な違いを隠すおそれがあります。
言語ごと、構文ごとに必要性を検証する
古英語の格句の位置を比較した研究には、対象としたデータでは独立KP投射が冗長だと結論づけるものがあります。一方、日本語の格接辞をK主要部とし、Labelingや語順を説明する提案もあります。
この対立は「KPが正しいか間違いか」という投票ではありません。同じ構造仮説が、どの現象を少ない独立仮定で説明できるかを言語ごとに比較する問題です。

後の理論ではどうなった?|KPは消えず、選択可能な分析装置として残る
ミニマリストはKPを一律に廃止も義務化もしていません。Merge、Feature、Agree、Labelingという一般的な道具でKの効果を導けるか、それともKを置かずに同じ説明ができるかを競わせます。前の理論を捨てるより、必要な部分を一般操作へ組み直す生成文法の変遷がここにも見えます。
KPを読むときの要点
KPは、日本語の「が・を・に」を名前だけで分類するのではなく、格標識が名詞句の階層構造でどこにあり、句全体の分布へどう関わるかを問う仮説です。
- KPはCase Phraseの略で、Kを主要部とする格句を表す
- 日本語の「太郎が」は、簡略的に[KP [NP 太郎] [K が]]と表せる
- Kを外側に置くと、格標識が複雑な名詞句全体に作用することを示せる
- NP・DP・KPは優劣の段階ではなく、異なる理論上の構造仮説である
- 「が・を・に」と「は・も」は、格と情報構造を分けて考える必要がある
- KP、抽象格の認可、θ役割は、それぞれ異なる問いを担当する
- KPはGB後期からミニマリスト期に広がったが、全言語で必須という合意はない

KPとは、格を名詞のラベルではなく、名詞句全体を包んでその分布を決める構造層として表す仮説です。
参考文献・一次資料
- Abney, S. P. (1987), The English Noun Phrase in its Sentential Aspect
- Bittner, M. & Hale, K. (1996), The Structural Determination of Case and Agreement
- Saito, M. (2018), Kase as a Weak Head
- The structural location of Case Phrase (KP) in Old English
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Kを名詞句の外側に置く分析を、ほかの機能主要部との関係から捉えるには、機能範疇のAUX・INFL・T・C・vの解説が役立ちます。


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