✔この記事の要点
この記事は、音韻論をトピックごとに扱う『音韻論シリーズ』の第一弾にあたる『音韻論Ⅰ』となります。
音韻論とは、言語の音に注目する言語学の1分野です。それは「音韻論」という名前からも分かることですが、正直なところそれ以上のことはあまり理解されていないのが現状です。
そこで、この『音韻論Ⅰ』では音韻論の全体像をお届けするべく、以下のようなトピックを取り上げていきます。
この記事のトピック
- 音韻論はどんな学問か?定義と特徴
- 言語学における音韻論の立ち位置
- 音韻論と音声学の共通点と相違点
- 音声と音素と音韻の違い
- 音韻論の分野・種類
》音素論
》韻律音韻論
》音律音韻論
》音素配列論
》語彙音韻論
》自然音韻論
》実験音韻論
》自律分節音韻論
》生成音韻論
》統率音韻論
》非線形音韻論
》分節音韻論
音韻論の全体像を提供するために、いくつかの観点から音韻論について書いていきたいと思います。全てを理解して頂く必要はありません。ご自身に合った角度から音韻論のイメージを掴んでいただければ幸いです。
それでは音韻論の道案内を始めていきます。
- 音韻論はどんな分野か?定義と特徴
- 言語学における音韻論の立ち位置
- 音韻論と音声学の共通点と違い
- 「音声」と「音素」と「音韻」の違い
- 音韻論の種類・分野を解説
- 音素論 (phonemics)
- 音素配列論 (phonotactics)
- 音律音韻論 (prosodic phonology)
- 韻律音韻論
- 語彙音韻論 (lexical phonology)
- 自然音韻論 (natural phonology)
- 実験音韻論 (laboratory phonology)
- 自律分節音韻論 (autosegmental phonology)
- 生成音韻論 (generative phonology)
- 統率音韻論 (government phonology)
- 分節音韻論 (segmental phonology)
- 非線形音韻論 (non-linear phonology)
- 音韻論の諸分野を見てきてわかること
- 全体のまとめ
音韻論はどんな分野か?定義と特徴
まずは音韻論の辞書的な定義を載せておきます。
これだけだとまだ分かりにくいですが、以降で色々な観点から〈音韻論〉を見て理解を深めていきましょう。
言語学における音韻論の立ち位置
まず大前提ですが、音韻論は言語学の1分野です。
そこで音韻論の言語学における立ち位置を見ておきます。
言語には、「音」「構造」「意味」の3つの側面がありますが、音韻論は、その名の通り「音」に注目します。
音声学と音韻の違いはなに?
ここで、同じく音に注目する音声学との違いは何か?という至極当然の疑問が出てきます。
そこで、音韻論と音声学の共通点と相違点から、音韻論の理解を深めたいと思います。
音韻論と音声学の共通点と違い
両者の共通点と相違点を見ていきます。
音韻論と音声学の共通点
まず、音韻論と音声学の共通点からです。
両者は、言うまでもなく言語の音を扱い、緻密に記述することが究極的な目標です。
また、両者は同じ現象を研究対象とすることもあります。例えば、語彙の中の音の変化は音声学と音韻論の両方にまたがる問題です。
単純ですがこれが両者の共通点や共通の領域です。
音韻論と音声学の違い
次によくある疑問の音韻論と音声学の違いを見ていきます。
結論を提示する前に、スペイン語と日本語のことを考えてみたいと思います。
『言語学入門』(斎藤純男)によると、スペイン語には次の2つの単語が存在します。
[ ]内のIPAを見てみると、それぞれの違いは[ɾ]と[l]だけであることがわかります。そして、この[ɾ]と[l]の音の違いが語の意味を決定しています。
さて、私達の母語である日本語にある「ロバ」という語を見てみましょう。
↓
ロバ ゆっくり発音 [loba]
発音の速さによって、「ロ」の音頭の子音は[ɾ]と[l]に変化すると言われています。
すなわち、スペイン語にも日本語にも、[ɾ]と[l]という2つの音が存在することになります。
そして、ここから音声学と音韻論の違いが出てきます。これら2つの音に対して、音声学と音韻論は異なるアプローチを取ります。
音声学の立場
まず音声学では、この[ɾ]と[l]の音がどのように作られ(調音され)、どのような波形をもって空気中を伝播し、どのように聞き手に知覚されるのか、という音そのものについて研究します。つまり、どんな言語体系(日本語とかスペイン語とか英語とか)の中というフィールドでそれぞれの音がどのような役割を果たしているかという機能的な側面は関係なく、目の前にある音の物理的な性質をひたすらに記述します。
音韻論の立場
その一方で音韻論は、[ɾ]と[l]という2つの音が語の意味を区別しているかどうか、という機能的な側面に注目します。すなわち、音韻論の観点からすれば、[ɾ]と[l]という2つの音の違いは、スペイン語では意味の区別を生み、日本語では意味の違いを生まない、という異なる扱いを受けるのです。
この音の違いがその言語体系において語の意味の違いに関係するか、という観点から設定された音のことを〈音素〉といいます。そのため、音素と認定されるかは言語によって異なります。
》【音韻論Ⅲ】音素と異音(条件異音/自由異音)について【図解】でわかりやすく
さらには、言語体系における扱いの違いだけではなく、その言語話者にとっても[ɾ]と[l]という2つの音の存在は異なります。というのも、スペイン語話者にとって、[ɾ]と[l]は全く異なる音で、それぞれを発音するとき「自分はこっちを発音しているな!」と意識しようとすればできるわけです。しかし、日本語話者にとって、[ɾ]と[l]の違いは分かりませんし、そもそも「ロバ」という単語の発音が変わるということすら意識したことがありません。物理的(つまり音声学的)には[ɾ]と[l]は異なる音ですが、日本語話者にとっては「同じ音」だと思っているわけです。これが、「音韻論が心理的な音を扱う」と言われるです。
まとめ 音声学と音韻論の相違点
以上のことから分かる音声学と音韻論の違いをまとめます。
「音声」と「音素」と「音韻」の違い
ここで、よく混合する3つの単語の意味を列挙しておきます。
〈音声〉と〈音素〉の違いは〈音声学〉と〈音韻論〉の違いで説明したのと同じですから問題ないと思いますが、〈音素〉と〈音韻〉の違いには注意が必要です。
(ある言語話者が心の中で思い込んでいる「同じ1つの音」の総称)
音韻に関する詳細は割愛します。辞書的にご利用ください。
音韻論の種類・分野を解説
ここからは、音韻論の種類や下位分野を列挙していきます。それぞれの音韻論の定義や内容を通して、音韻論がどのような研究をしているのかをお伝えしていきます。
また、中には難しい定義がありますが、ここでは立ち入らないことにします。音韻論への入り口という目的として、興味を持たれた箇所はご自身で調べていただけたらと思います。
下記の内容は、斎藤純男 他 (2015) 『明解言語学辞典』三省堂を参考にしています。
音素論 (phonemics)
そもそもの〈音素〉とは、ある言語(日本語とか英語とか)において言語の意味を区別する最小単位としての分節音のことです。慣習として、音素は /n/ のように / / で囲みます。
》【音韻論Ⅲ】音素と異音(条件異音/自由異音)について【図解】でわかりやすく
この〈音素〉を確定する手続き手法の研究が〈音素論〉です。
》投稿予定
音素配列論 (phonotactics)
先程の〈音素論〉で確定された〈音素〉の並び方を研究します。具体的な〈音素配列論〉を日本語と英語で見てみると、次のような制限があります。
◆日本語の音素の並び方の制限
- 語のはじめには子音は連続して2つ並ばない(/j/は終わりに来ることは可能)
- 語のおわりに来られる子音は/ɴ/か/Q/である。
◆英語の音素の並び方の制限
- 分節の初めに子音が3つ連続で並ぶ時は、必ず/s/である。
音律音韻論 (prosodic phonology)
韻律音韻論
語彙音韻論 (lexical phonology)
便宜上、言語学では音を扱う分野である〈音声学〉と〈音韻論〉は語の構造を扱う〈形態論〉と区別されますが、実は互いに完全に独立しているわけではありません。それぞれの境界線にまたがるような問題もあり、この〈語彙音韻論〉はその1例と言えるでしょう。
自然音韻論 (natural phonology)
実験音韻論 (laboratory phonology)
自律分節音韻論 (autosegmental phonology)
生成音韻論 (generative phonology)
ノーム・チョムスキーの生成文法の観点から、音韻論と捉えようとした理論です。 初期の生成音韻論の出発点は、チョムスキーとハレの共著The Sound Pattern of Englishが出版された1968年とされています。
統率音韻論 (government phonology)
〈原理・パラメータ〉について書いておきます。
もともと生成文法において〈普遍文法〉と〈個別文法〉の両方を記述しようとするとき、前者の〈普遍文法〉をシンプルにしたい一方で、後者の〈個別文法〉を調べれば調べるほど複雑になってしまう、という課題がありました。理論上では、〈個別文法〉は〈普遍文法〉の成長した結果となるため、シンプルな〈普遍文法〉からコンプレックスな〈個別文法〉がどのように変わるのか説明する必要があります。
そこで提案されたのが〈原理・パラメータのアプローチ〉というものです。すなわち、普遍文法には固定的な性質である原理と可変的な性質であるパラメータがあり、人間の子供は、普遍文法はパラメータの値を後天的に設定してくことで個別文法を獲得する、という理論です。個別文法は、固定的な原理と可変的なパラメータの値の相互作用によって出力されるため、言語の多様性や文法の複雑性を説明することが可能になりました。チョムスキーいわく、この考え方は生物学からとってきたようです。
分節音韻論 (segmental phonology)
これは次の〈非線形音韻論〉との対立概念です。
非線形音韻論 (non-linear phonology)
音韻論の諸分野を見てきてわかること
今までいくつかの音韻論の種類を見てきましたが、そこから分かることをまとめておきます。
いきなりですが、〈意味論〉という言語学の分野をご存知でしょうか?その名の通り、言語の意味を扱う学問なのですが、そこの学問内でも、音韻論と同様に無数の下位分野や種類、理論が提案されてきました。
しかし、〈音韻論〉と〈意味論〉の学問体系を比較してみると、少なくとも1つの決定的な違いを挙げることができます。
それは、研究対象に対する姿勢です。
音韻論では、それぞれの分野・種類は音に関する着眼点によって境界線を引くことができます。あるものは分節音に注目し、ほかのものは韻律に注目したりなどといった感じです。もちろん、多少の対立の構図はあるものの(分節音韻論vs非線形音韻論など)、基本姿勢としてはそれぞれの分野・理論で分担し、包括的に言語音の機能・体系を記述(可能であれば説明)しようとしています。
その一方で意味論では、それぞれの分野・種類は、「そもそも意味とはなにか?」というところから主張が異なっています。つまり、「意味」という概念に対して共通理解がないのです。それぞれの立場が意味というものの捉え方を勝手に決めて、研究が進んでいきます。
この両者の違いが生まれる原因は、何よりも音が具体的で観察・記録が可能であることに対し、意味が目に見えず本当に存在しているのかも分からないからでしょう。このような背景があり、かつての言語学(今でも未着手の言語を対象にする場合ではそうですが)では、「言語学の対象は第一に音である」という音優位の研究態度や「直接目に見えないものは相手にするべきではない」という思想が強く蔓延っていました。これが〈外在主義〉や〈行動主義〉といった言語哲学の問題に絡んでくるので、そちらにも興味があればぜひご自身で調べてみてください。言語学を通して、「科学のあり方」などを学べるので楽しいと思います。
これは音韻論の特徴というよりは、意味論だけのの特殊性なのかもしれませんが、言語学の中で互いの分野を比較し、学問体系の理解を深めることは大切なことだと思ったため、今回取り上げました。
全体のまとめ
これにて『音韻論Ⅰ』は終了です。
今回は音韻論の全体像をお届けするべく、以下のポイントについて見てきました。
- 音韻論とは、言語の音の側面に注目する言語学の1分野。音の配置・交替・変化などに注目し、言語体系における音の機能や体系を研究する。
- 音声学と音韻論の違い
◆音声学
》音がどのように作られ、どのような波形をもって空気中を伝播し、どのように聞き手に知覚されるのか、という音そのものの物理的な側面について研究
◆音韻論
》音の違いが語の意味を区別しているかどうか、という機能的な側面に注目する。また、話者の心理的な音に注目する学問ともいわれる。 - 音声と音素と音韻の違い
◆音声
》実際に発せられた音のこと。
◆音素
》あるひとつの言語において,言葉(語)の意味の区別に関係する音の最小単位。(ある言語話者が心の中で思い込んでいる「同じ1つの音」の総称)
◆音韻
》音素よりも広い概念。音素に加え、音の長短・強勢・アクセントなど韻律的要素まで含めたもの。 - 音韻論には、様々な種類や下位分野が存在する。
音韻論に関する記事はこれからも作成していきます。
参考文献
- 一般社団法人 日本音響学会 「音のなんでもコーナー Q & A No45」URL
- 斎藤純男 (2010)『言語学入門』三省堂
- 斎藤純男 他 (2015) 『明解言語学辞典』三省堂
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