日本語なら「本を買った」で済むのに、英語は I bought books. と、必ず s を付けて複数だと示します。1冊でも a book と、単数であることをわざわざ表に出します。なぜ英語は、数をいつも言わなければならないのでしょうか。
先に答えを言ってしまうと、英語は単数か複数かを文法として必ず形に出す言語で、日本語は必要なときだけ数を補う言語だからです。同じ「数」でも、必ず示すか、場面に任せるかが違うのです。
「s は複数につける」だけでは、肝心の”なぜ必ず”が残る
「名詞が2つ以上なら s をつける」と習います。これはルールとしては正しいのですが、本当に不思議なのは「なぜ”必ず”つけるのか」の方です。
日本語と並べると、その強制力の違いが見えてきます。
- I bought a book. (本を1冊買った)
- I bought books. (本を複数買った)
- 本を買った。 (冊数は言っていない)
英語では、本を話題にするだけで、1冊なのか複数なのかをどうしても決めなければなりません。a book か books か、必ずどちらかを選びます。ところが日本語の「本を買った」は、何冊かを言わずに済ませられます。

日本語だと数を言わなくて平気なのに、英語はなぜ毎回決めないといけないんですか?

英語では「数」が、言うか言わないか選べない、必ず示す情報になっているからです。
まずは、英語が数をどう扱っている言語なのかからはっきりさせましょう。
英語は「数」を必ず選ばせる言語
英語では、数えられる名詞を文に出すたびに、単数か複数かを必ず形で示すことが求められます。a book(単数)か、books(複数)か、どちらかを選ばないと、そもそも文が作れません。
言語学では、こうして「言うか言わないか選べず、必ず示す」標示を義務的標示と呼びます。英語の数は、この義務的標示にあたります。

だから「本が好き」と言いたいだけでも、英語では I like books. のように複数形を選ぶことになります。数を言いたいわけではなくても、形の上では数を示さざるをえないのです。
日本語は「数」を言いたいときだけ言う
一方、日本語では数の標示は任意です。「本を買った」は冊数について中立で、必要なら「3冊買った」「本を何冊か買った」と足せます。

「たち」は複数形の s とは違う
「子どもたち」の「たち」を複数形だと考えると混乱します。「たち」は人や動物など限られた名詞にしか付かず、しかも付けるかどうかは任意です。「子どもが3人」のように、「たち」なしでも複数を表せます。
| 英語の -s | 日本語の「たち」 | |
|---|---|---|
| 付ける義務 | 必須(数えられる名詞) | 任意 |
| 対象 | ほぼすべての可算名詞 | 主に人・動物 |
つまり英語の -s と日本語の「たち」は、見た目は似ていても役割が違います。-s は数を必ず示す文法装置、「たち」は付けたいときに付ける語、というわけです。
だから「何を必ず言うか」が言語で違う
英語が数を強制するからといって、日本語が数にルーズなわけではありません。どの情報を文法として強制するかが、言語ごとに違うだけです。
英語は数や冠詞を必ず示させますが、主語を省くのは苦手です。逆に日本語は数や主語を省ける一方で、相手との関係に応じた敬語の選択を強く求めます。どちらが優れているという話ではなく、強制する場所が違うのです。
この見方を持つと、複数形の s は「日本人には面倒なルール」ではなく、「英語という言語が必ず示すと決めている情報」として受け止められます。
数は文全体に波及する
英語が数を必ず示すことは、名詞だけにとどまりません。動詞や代名詞も、その数に合わせて形を変えます。This book is… と These books are… のように、be 動詞や三単現の s まで数に引きずられます。一度「複数」と決めたら、文全体でその情報を保ち続けるわけです。
名詞の数が、be 動詞の is / are まで決めている。
逆に、s が出ない場合も「数の見方」で説明できます。sheep や fish が単複同形なのは、もともと群れとして捉える名詞だからです。water や money のような不可算名詞に s が付かないのも、数える対象として見ていないからです。s の有無は気まぐれではなく、その名詞を数えて見ているかどうかを映しているのです。
母語に数の義務的標示がない日本語話者にとって、s の付け忘れが起きやすいのは自然なことです。日本語では「本を買った」で何の問題もないため、英語でも数を言わずに済ませたくなります。だからこそ「英語は数を必ず示す言語だ」と一段深く理解しておくと、機械的な暗記よりも忘れにくくなります。
「言わなくてもよい」と「言ってはいけない」は別
注意したいのは、日本語の任意標示は「数を言ってはいけない」という意味ではない、という点です。日本語でも「3冊の本」「本が何冊か」と、言いたいときははっきり数を示せます。違いは、英語は言うか言わないかを選べない(必ず示す)のに対し、日本語は示すかどうかを選べるところにあります。
この「選べるかどうか」が、両言語の根っこの差です。英語は数や冠詞を文法として強制する代わりに、主語を省くことを許しません。日本語は数や主語を省ける代わりに、相手との関係に応じた語尾や敬語の選択を強く求めます。どちらも、必ず示す情報と、場面に委ねる情報の線の引き方が違うだけなのです。
たとえば「行きました」は、主語を言わなくても自然に通じますが、英語では I went / He went / They went と、主語と数を必ず立てなければ文になりません。逆に、日本語では相手によって「行った」「行きました」「いらっしゃいました」と使い分けますが、英語にはこの種の敬語の義務はありません。お互いに、相手の言語が「なぜそこを必ず言うのか」を不思議に感じる、というわけです。
まとめ:英語は数を必ず示し、日本語は必要なときだけ示す
最初の問いに結論を示してまとめましょう。
英語が複数の s を必ず言うのは、単数か複数かを文法として必ず形に出す(義務的標示)言語だからです。日本語が言わなくてよいのは、数の標示が任意で、必要なときだけ補えばよいからです。
s は覚えにくいルールに見えますが、「英語は数を必ず示す言語なのだ」と分かると、付け忘れの理由も腑に落ちます。

今回の要点
- 英語は単数・複数を必ず形に出す(義務的標示)言語。
- 日本語は数の標示が任意で、必要なときだけ補う。
- 「たち」は複数形の s とは別物(限られた名詞・任意)。
- どの情報を文法で強制するかが、言語ごとに違うだけ。
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