この記事は、「対照言語学(contrastive linguistics) 入門」になります。
〈対照言語学〉の全体像を俯瞰するために、
を取り上げていきたいと思います。
対照言語学とはなにか
はじめに〈対照言語学〉の定義を確認しておきましょう。
比較言語学と対照言語学の違い
〈比較言語学〉と〈対照言語学〉は名前こそは似ていますが、中身は大きく異なります。
両者の違いには、「比較」と「対照」という用語の意味が大きく関与しています。
このように、〈比較言語学〉と〈対照言語学〉は、
- ターゲットとする言語の関係性 (同系関係の有無)
- 言語に対するアプローチ (歴史的観点の有無)
という2つの点で主に異なっています。
黒田龍之助『外国語を学ぶための 言語学の考え方』より
この〈比較言語学〉と〈対照言語学〉の違いに関して、黒田龍之助(2016) は以下のような言及をしています。
少し長くなってしまいますが、ぜひご一読ください。
言語学の場合、比較は原則として歴史的に同系関係が証明されている言語間でしか使えない。起源を遡れば同じ言語から分かれて現在に至っているものだけが、比較の対象となる。[中略] 英語と日本語は《比較》してはいけない。もしそのような表現を使っているとしたら、それは言語学の考え方を知らないか、あるいは英語と日本語は同じ起源から分かれたと信じていることになる。いずれにしても困る。
最後の一言がかなり強烈ですが、このように言語学において「比較」と「対照」という用語の意味は大きく異なります。
そもそも「同系」とは?
先ほどから「同系」という言葉が何度も出てきていますが、ここで「同系」という言葉の意味を説明しておきたいと思います。
ここで言う「語族」というのは、諸言語における親戚関係のようなもので、具体的には以下のような語族が存在します。
「語族」の例
- インド・ヨーロッパ語族:英語, ドイツ語, スペイン語, イタリア語, などなど
- シナ・チベット語族:中国語, チベット語, などなど
- フィン・ウゴル語族:フィンランド語, ハンガリー語, などなど
- オーストロネシア語族:東太平洋~マダガスカル島周辺に分布する諸語
そして、ここで再び〈比較言語学〉と〈対照言語学〉の違いに話を戻すと、
- 同じ語族に含まれる複数の諸言語(英語とドイツ語)を比べ合わせるのが、〈比較言語学〉
- 同じ語族に含まれない複数の諸言語(英語と中国語)を比べ合わせるのが、〈対照言語学〉
ということになります。
さらには、「同系である」ということは「祖先が共通であり、歴史的な関係性がある」ということを意味するため、〈比較言語学〉には必然的に歴史的観点が絡んでくるということになります。
という両者の違いが生まれるわけです。
これが〈比較言語学〉と〈対照言語学〉の一番大きな違いです。
【補足説明】比較言語学と対照言語学のもう1つの違い
先ほど「同系関係の有無」と「歴史的観点の有無」という2つの視点から〈比較言語学〉と〈対照言語学〉の違いをお話しましたが、もう1つの違いを説明します。
それは、「分析対象とする言語の側面」です。
言語には上のような側面がありますが、〈比較言語学〉と〈対照言語学〉では、それぞれ注目する側面が異なります。
だいたい大雑把にまとめてしまえば、
- 比較言語学 → 音韻論 (+形態論) に注目
- 対照言語学 → 統辞論 (+その他) に注目
といった感じになります。
少しハイレベルなお話なので、読み飛ばしていただいても構いません
なぜ〈比較言語学〉と〈対照言語学〉で、そのように注目する側面が異なるのか簡単に説明します。
まず〈比較言語学〉では、「同系」「同族」という前提がありましたが、そもそもこれらの前提は、諸言語の「音の類似性」を基準に定められています。互いの言語の音に類似性が見い出された場合、それらの言語は「同系」「同族」と見なされ、そして晴れてめでたく〈比較言語学〉のターゲットと成し得る訳です。つまり、〈比較言語学〉を成り立たせている「同系」「同族」という前提条件が言語の「音」に基づいている以上、〈比較言語学〉が〈音韻論〉に注目するのは当然の帰結なのです。また、〈比較言語学〉における「青年文法学派」呼ばれる学派が『音法則に例外なし』と謳っていたほど、比較言語学では音法則を始めとした〈音韻論〉は非常に重要な役割を占めています。
その一方で〈対照言語学〉の場合は、ターゲットとする言語の間に「同系」「同族」の前提条件は必要ありません。したがって、〈音韻論〉に注目しなければならないという制約はありません。そのため、〈対照言語学〉では主に比較言語学が扱わない言語の側面、すなわち文法構造などに注目します。ここで注意すべきは、対照言語学でも音韻論を扱うことはできるという点です。例えば「英語にはr音とl音の区別があるが日本語には区別がない」というのはその典型です(「英語と日本語が同系関係・歴史的親縁関係にない、すなわち比較言語学の対象にはならない」ということを強調しておきます)。つまり、極論を言ってしまえば、基本的に〈対照言語学〉は言語のあらゆる側面をターゲットにすることが可能です。しかし先ほど述べた通り、主な分析対象は比較言語学が扱わない文法構造などなどです。以上のことを踏まえ、「統辞論 (+その他)」と表記しました。
【おまけ】日本語の語族、祖先はどこに…?
〈対照言語学〉とは直接関係ありませんが、「同系」や「語族」という用語に関連して、私たちの母国語である日本語について少し触れておきます(本来は比較言語学の記事で書くべき内容ですが…)。
日本語の祖先はどこにあり、どんな語族に属しているのでしょうか?
結論から言うと、
少しがっかりするような結論ですが、これが現段階での研究成果です。
つまり、日本語と「同系・同族」の言語が存在しない以上、「日本語」という言語において、〈比較言語学〉という手法を実施することは(今のところ)不可能です。
「日本語と比べる」という表現を使った時、それは必ず〈対照言語学〉の意味での「比べる」という意味であり、〈比較言語学〉の意味での「比べる」という意味には決してなりません。
対照言語学の誕生の歴史とその目的
さて、ここで〈対照言語学〉の歴史を見てみましょう。
対照言語学の誕生は、1957年 と言われることが多いです。
1957年に Robert Lado という学者がその著書の中で次のような指摘をしました。
「外国語学習の難易度において、母国語と外国語の比較(対照)は重要な役割をもつ」
(原文:in the comparison between native and foreign language lies the key to ease or difficulty in foreign language learning)
このことから、〈対照言語学〉の創設者の1人として Robert Lado の名が挙げられ、「1957年に対照言語学の基礎がある」と言われることが多いです。
【補足】比較言語学の誕生した年
〈対照言語学〉の基礎が 1957年 にあったのに対し、〈比較言語学〉の起源は 1786年 に遡ると言われています。
驚くべきことに 対照言語学の基礎が打ち出された約2世紀前には比較言語学の土台は出来上がっていたのです。
このような前後関係で、既に「比較」(comparative)という用語は〈比較言語学〉(Comparative Linguistics)に使われていたため、「対照」(contrastive)という用語を使って、〈対照言語学〉(Contrastive Linguistics)という名前になったとも言われています。
対照言語学の意義と目標
もう一度ここで〈対照言語学〉の誕生について話を戻したいと思います。
「外国語学習の難易度において、母国語と外国語の比較(対照)は重要な役割をもつ」
(原文:in the comparison between native and foreign language lies the key to ease or difficulty in foreign language learning) (原文はlies以下が主語の倒置文になっています)
このような Robert Lado の指摘が〈対照言語学〉の土台を作った訳ですが、この言葉から分かるように、〈対照言語学〉とは 外国語学習や外国語教育を目的に誕生、そして発展してきたのです。
そのため、〈対照言語学〉の基本には次のような姿勢が見られます。
外国語学習において、母国語の特徴に基づくエラー(母語干渉)は、全体のエラーの約30%だとも言われています。
このような外国語学習の難しさがある中で、予め両者の言語の違いを明確にすることができていれば、外国語学習に有益な効果を発揮するのは言うまでもありません。
対照言語学は外国語学習において非常に重要な役割を持っているのです。
対照言語学の具体的な分析
当サイトでは、日本語と英語の対象分析に関する記事を幾つか作成しています。
以下の2つは、日英語の「動詞の性質」に関するものです。
➤➤【対照言語学②】日英語の動詞の性質〈call ≠ 電話する〉
➤➤【対照言語学③】日英語の動詞の性質Ⅱ〈drink ≠ のむ〉
日頃 無意識に使っている日本語だからこそ、英語と比べてみると面白い発見に出逢うはずです。ぜひご覧ください。
全体のまとめ
今回は、〈対照言語学〉の全体像を見てきました。
今回のポイントをまとめておきます。
- 〈対照言語学〉とは、2つ以上の言語において、言語上の類似点や相違点を明らかにしようとする言語学のこと(同系関係や歴史的観点は必要としない)
- 対照言語学の基礎は、1957年の Robert Lado の考え方にある
- 対照言語学は、外国語学習において極めて重要である
みなさんの対照言語学に興味をもつきっかけになれば幸いです。
参考文献
- 黒田龍之助 (2016) 『外国語を学ぶための 言語学の考え方』中央公論新社
- 加藤重広 (2019)『言語学講義 -その起源と未来』 ちくま新書
- イェスペルセン,オットー (2006)『文法の原理』安藤貞雄 訳 岩波文庫
- Lado, R. (1957). Linguistics across cultures: Applied linguistics for language teachers. University of Michigan Press.
- http://cv.uoc.edu/annotation/f7cc99c3579514100285795cb537fbe8/675434/PID_00249318/PID_00249318.html
- https://www.llas.ac.uk/resources/gpg/1395.html
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