今回は、数を表すことばがほとんどない言語と、数えるという行為の関係を扱います。
私たちは「1、2、3……」と数えるのを、あまりに当たり前のことだと感じています。ところが、アマゾンで話されるピダハン語には、正確な数を表す数詞がないという研究報告があります。「数の概念がない民族」と紹介されることもありますが、ことばの有無から数量を扱う能力まで決めてよいのでしょうか。
そこでこの記事では、『数詞がほとんどない言語の話者は、数とどう付き合っているのか』、そして『ことばと数える力には、どんな関係があるのか』を考えてみたいと思います。
研究で見えてきたのは、見本と答えを同時に見ながら一対一でそろえることと、見本の数を覚えて後から再現することでは、成績が違うという点です。正確な数詞は、とくに数量を記憶し、別の場所や場面へ持ち運ぶための道具として考えられています。
「3」「4」に当たることばがない言語がある
まず、どういう言語なのかを確かめます。
ピダハン語の量表現は、よく「1・2・たくさん」と紹介されます。しかし、Frankら(2008)の調査では、hói、hoí、baagisoという語が、固定された個数を表すとは言い切れないことが分かりました。同じ語を使う個数の範囲が、見せる品物を増やすか減らすかによって変わったからです。
そこで研究者は、これらを「少ない」「より多い」といった相対的な量の表現として捉えました。「2」という語なら、前に何個見たかにかかわらず二個を指します。この違いが、正確な数詞と量表現を分ける手がかりになります。
ピダハン(報告例):「少ない」「もう少し多い」「たくさん」
→ 「ちょうど7個」のような厳密な数を、一語で名指すことばがない
ただし、正確な数詞がないことは、物の数を区別したり、同じ数だけそろえたりする能力がないことを意味しません。それを確かめるには、数詞で答えさせる課題ではなく、実際に物を対応させる課題が役立ちます。
並べた品物の数を「そろえる」課題で確かめた

数量を調べた研究には、見本と同じ数の品物を並べてもらう課題があります。図はその考え方を示す模式図です。研究ごとに使う材料や、見本が見えるかどうかなどの条件は異なります。
机の上に品物を一列に並べて見せ、それと同じ数だけ、自分の前にそろえて置いてもらう。たとえば相手が乾電池を一列に置いたら、それと同じ数の電池を並べる、というだけのものです。数を声に出して数える必要はありません。一対一で対応させればよい課題です。
この種の課題を用いたGordon(2004)の研究は、個数が大きくなるほど誤差が増えると報告しました。単純な対応づけでも誤りが見られたため、正確な数詞と数量認知の関係が注目されました。
しかし、この結果だけで「数詞がなければ大きな数を正確に扱えない」と結論づけると、後の研究で見つかった条件差を見落とします。
同時に見てそろえる場合と、覚えて再現する場合では違った
Frankら(2008)は、課題の条件を変えて調べました。すると、見本と自分の並べる品物を同時に見られ、記憶を必要としない対応づけでは、大きな集合でも正確に数をそろえられました。一方、数量を記憶したり、異なる配置や感覚をまたいで対応づけたりする課題では、精度が落ちました。

| Frankらの課題で異なる条件 | 結果と読み取れること |
|---|---|
| 見本と答えを同時に見ながら、一対一で対応させる | 大きな集合でも正確に対応できた。数詞がなくても、数量の一致を扱える。 |
| 見本を覚えて再現する、または配置・感覚の違いをまたいで対応させる | 精度が落ちた。正確な数量を保持し、別の形へ移す場面に難しさがある。 |
注目したいのは、同じ人々が、ある条件では大きな数でも正確に対応できたという点です。これなら、うまくできなかった課題の結果を、そのまま「正確な数量を理解する能力がない」と読み替えることはできません。
Gordonの報告とFrankらの報告を一つの結果としてまとめず、何を見せ、何を覚え、どのように答えたかまで分ける必要があります。数詞の役割を考える手がかりは、単純な「小さい数/大きい数」だけでなく、数量をその場から持ち運ぶ必要があるかにもあります。
数詞は、正確な数量を覚えて持ち運ぶ道具になる
見本が目の前にあれば、一個ずつ対応させて同じ数にできます。しかし、見本が見えなくなった後では、「さっき何個あったか」を別の形で残しておかなければなりません。
たとえば、物を七個見た後で「七」と覚えておけば、場所や並べ方が変わっても、同じ数を作り直せます。これは仕組みを考えるための例ですが、数詞が、目の前の品物とは独立した数量の目印になることを示しています。
後から再現・伝達する … 「七」のような数詞が正確な数量を残す目印になる
Frankらが数詞を認知的な道具と考えたのも、この違いからです。数詞は、正確な数量の理解をすべて生み出すというより、その数量を記憶し、伝え、条件を越えて使うことを助けると捉えられます。
「数の概念がない」とまとめると、できることを見落とす
「数の概念がない」という表現は、量の大小も、同じ数かどうかも分からないかのような印象を与えます。しかし、同時に見える集合を正確に対応づけた結果は、その印象と合いません。
一方で、後から再現する課題の難しさを無視して「ことばは数量認知に関係ない」と言うのも行き過ぎです。実験が示した両方の結果を説明できるように、ことばの役割を絞って考えます。
これらは特定の課題における数量処理の研究であり、人々の知能全般を測ったものではありません。言語と思考を結びつけるときには、どの能力を、どんな条件で調べたかを保つことが大切です。
まとめ:数詞は、数量を記憶・伝達するための道具
最初の問いに戻りましょう。数のことばがないと、人は数えられなくなるのか。
ピダハン語の研究からは、正確な数詞がなくても、見本と同時に一対一でそろえることはできると分かります。難しさが表れたのは、数量を記憶したり、別の配置や感覚へ移したりする条件でした。「数えられるか」の一言を、何を手がかりに、何を保持する作業なのかへ分けると、ことばの役割が見えてきます。
- ピダハン語の量表現は、Frankらの研究では固定的な「1・2・たくさん」ではなく相対量として分析された。
- Gordon(2004)は数が増えると誤差が増えると報告したが、Frankら(2008)は同時の一対一対応なら大きな集合でも正確に扱えると示した。
- 記憶や条件の変換を伴う課題では精度が落ちた。
- 数詞は、正確な数量を記憶・伝達し、別の場面で使うための道具と考えられる。
ことばが思考に与える影響を、強い決定論と弱い仮説に分けて整理した全体像は サピア・ウォーフの仮説(言語相対論)とは にまとめてあります。ことばと考え方の関わりという点では 言語と文化の関係とは、人間の言語が共通して持つ仕組みに関心があれば 生成文法とは もあわせてどうぞ。


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