✔この記事の要点
この記事は、音韻論をトピックごとに扱う『音韻論シリーズ』の第3弾にあたる『音韻論Ⅳ』となります。
今回のトピックは、音素の決定方法、すなわち音素論です。
そもそも音韻論とは、言語の音に注目する言語学の1分野です。その中に、〈音素〉という重要概念があり、その音素を研究する分野を〈音素論〉と言います。そして、音素論では〈分布〉を重要視します。
具体的なトピックは以下の通りです。
トピック
- 音素の定義の振り返り
- 音素論の説明
- 音素の決定方法
- 分布の種類
》対立的分布と相補的分布 - 音素決定のためのフローチャート
「音素の決定方法」という観点から、音素という抽象的な概念についての理解を深めていただけたら幸いです。
そもそも音素とは何か?
大前提となる知識の確認です。音素の性質について復習しておきましょう。
今回は、音素の定義や特徴を述べるだけに留めておき、噛み砕いた説明は割愛しています。
もっと詳しく音素について知りたい方は、下記の記事に当ってください。
》【音韻論Ⅲ】音素と異音(条件異音/自由異音)について【図解】でわかりやすく
かなり分かりやすく説明しています。
音素論(phonemics)の定義
そんなわけで、音韻論という分野では、音素に対して以下のような研究を行います。
音素の研究
- 音素を決定する方法を確立する?←コレ!
- 音素の並び方の規則・制限を調べる
- 音素の変化・消失について調べる
- などなど…
今回の記事のトピックは一番上の「音素を決定する方法」です。この分野を〈音素論〉と言います。
以下では、どのように言語内で音素が決定するのか説明していきます。
対立分布に生起する音は音素として認定される
まず結論です。音素の決定方法は次の通りです。
ここでは「対立分布に現れる2つの音は音素である」という結論を押さえてください。次から〈対照分布〉について掘り下げていきます。
対立分布(contrastive distribution)の定義と具体例
対立分布の具体例から見てみます。
bead [bid] | deed [did] |
kit [kɪt] | cat [kæt] |
cap [kæp] | cab [kæb] |
横方向にご覧ください
上記の表において、横並びの2つで1セットの単語の中にある赤字のIPAは、対立分布に現れています。
例えば、kit [kɪt]とcat [kæt]なら、両者の違いは[ɪ]か[æ]だけで、それらは「[k]と[t]の間」という同じ条件(位置)に分布しています。
このような分布を〈対立分布〉と言います。
対立分布を図解で示すと、次のようになります。
図解が示している通り、音Aと音Bは重なっていますが、この重なりはそれらの音が登場する分布の重なりです。
対立分布とミニマルペアの関連性
ここで、対立分布を〈ミニマルペア〉という用語と紐付けしておきます。
まず、ミニマルペア(最小対語)は以下のように定義されます。
ミニマルペアの具体例は先程の表でお見せした通りです。下記の表で横並びになった2つの単語がミニマルペアです。また、ミニマルペアとして異なる音を赤字でマークしています。
bead [bid] | deed [did] |
kit [kɪt] | cat [kæt] |
cap [kæp] | cab [kæb] |
注目すべきは、スペルのアルファベットではなく、発音、すなわち[ ]で示されたIPAの方です。
このように、だた1つの音の違いによって意味が区別される2つの単語のペアのことを〈ミニマルペア〉と呼び、その異なる音は〈音素〉として認定されます。
そして、ミニマルペアにおいて異なる音は〈対立分布〉に登場しています。
》【音韻論Ⅱ】ミニマル・ペア(最小対語)の定義と具体例をわかりやすく解説
以上で対立分布の説明は終了です。
相補分布(complementary distribution)の定義と具体例
次にもう1つの分布、〈相補分布〉を見ていきます。
定義のように、対照分布では、2つの音は同一の音韻環境で登場することはありません。即ち、分布が重なることはありません。
そして、相補分布に現れる2つの音は同じ音素に属しています。即ち、それら2つの音を入れ替えても、単語の意味が変わることはありません。
相補分布の具体例
〈相補分布〉の具体例を見てみましょう。
ここでは〈帯気音〉という音声学の知識が必要になります。必要最低限な説明はしますが、詳しくは下記の記事を当ってください。
》【音声学Ⅷ】音声学における音の変化(帯気音化・母音鼻音化・長母音化)
話を戻します。英語には〈帯気音〉と呼ばれる音があります。英語の場合は、[p][t][k]、即ち〈無声破裂音(voiceless stop)〉がある特定の音韻環境で帯気音に変化し、その音声変化を〈帯気音化(有気音化)〉と言います。
また、IPAでは、帯気音であることを表すために該当する子音の右上に小さな「h」を記し、[ph] [th] [kh]のように表記します。このように、異なるIPA表記をするということは、物理的な発音が異なるということを意味します。
今回は[p]と[ph] にフォーカスします。
[p]が帯気音化していない例(普通の[p]) | [p]が帯気音化した例 | ||
単語 | IPA | 単語 | IPA |
spin | [spɪn] | pin | [phɪn] |
spat | [spæt] | pat | [phæt] |
spot | [spɑt] | pot | [phɑt] |
up | [ʌp] | pain | [phejn] |
左右のIAPを見比べて、[p]が[ph] に変化する環境・条件を考えてみましょう。
比較すると、次のようなことが分かります。
これが帯気音化の条件です。
このことから、以下のことが言えます。
⇩
[p]が登場する位置には[ph] は登場せず、
[ph] が登場する位置には[p]は登場しない
⇩
[p]と[ph] は相補分布にある
このように[p]と[ph] は登場する位置、即ち分布が決して重なることがありません。このような分布が〈相補分布〉です。
そして、相補分布に登場する2つの音だから、次のようなことも分かります。
⇩
[p]と[ph] は同じ音素に属する異音である
更には、「音節の初めにある[p]が[ph] に変化する」という音韻環境(条件・位置)も特定できるため、[p]と[ph]は〈条件異音(位置異音)〉です。
》【音韻論Ⅲ】音素と異音(条件異音/自由異音)について【図解】でわかりやすく
このように、〈相補分布〉は〈異音〉を特定するのと相性が良い分布です。
音素を決定するためのフローチャート
今回の内容のまとめとして、登場してきた用語や考え方を採用したフローチャートを紹介します。
〈対立分布〉(またはミニマルペア)は音素の特定と相性がよく、〈相補分布〉は異音の特定と相性が良いことが分かりました。
参考として、「ミニマルペア」と「音素・異音」の記事もご覧ください。
》【音韻論Ⅱ】ミニマル・ペア(最小対語)の定義と具体例をわかりやすく解説
》【音韻論Ⅲ】音素と異音(条件異音/自由異音)について【図解】でわかりやすく
全体のまとめ
これにて『音韻論Ⅳ』は終了です。
今回は音素の特定方法のために使われる〈対立分布〉と〈相補分布〉について、以下のポイントについて見てきました。
- 対立分布
》2つの音が、同じ音韻環境で一方を他方に置き換えると意味が変化する時、2つの音は対立分布にあるという。また、対立分布に現れる2つの音は、それぞれ異なる音素である。 - 相補分布
》2つの音があり、一方が生起する音韻環境では他方は生起せず、また他方が生起する音韻環境では一方は生起しない時、2つの音は相補分布にあるという。また、相補分布に現れる2つの音は、同じ音素に属する異音である。 - 音素・異音のフローチャート
音韻論に関する記事はこれからも作成していきます。
参考文献
- 斎藤純男 (2010)『言語学入門』三省堂
- 斎藤純男 他 (2015) 『明解言語学辞典』三省堂
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